知っている、と、できる、の溝

2008年01月31日

お話をしていて、
「それ知っています」
と発言をされると、
うむー、と唸ってしまう。
それがいい方向に働くことが少ないから。

「それ知っています」
は高い確率で、
「それぐらい僕はとーぜん知ってますよ。
業界事情詳しいっすから。」
的な意味が込められていて、
大体次からのお話がすっとばされていく。
もしくは、その人の知っている話にひっぱられていく。
そして、大体が何も生み出さない。

別にそんなことを知っていても価値ではない。
それが、「できる」、が価値だし、
その「知っている」をどうアジャストするかが価値である。

特に意味がないのが、アイデア出しの場で、
とあるアイデアが何かに似ていた時に、
「あ、それ知ってます。○○で賞取ったやつですよね。」
と、いうやつ。
君、その発言で人にケチを付ける前に、
知っているなら、それを紙に落としてこいよ、って思う。
もちろん、マネッコキャンペーンに意味はないから、
あえて外す、というのはあってよいが、
アイデアブレストの場であれば、
面白いのがあれば、もって来るのは問題ない。
それを発展する方向性を探ればいい。
ってか、知っているなら「持ってくる」のが礼儀だ。
そこでの、「僕知ってます」発言は、
君の知識のひけらかしであって、
そして同時に、このキャンペーンにおける、
君の知識が何も生かされていないことと同義でしかない。
知っている、ことを、キャンペーンにひもづける能力がないのだ。
その発言をするなら、せめて恥ずかしがったらどうだ、
とすら思うこともある。

投稿者aikawa | 2008年01月31日 18:02 | | | はてなブックマークに追加 | deliciousに追加 | Buzzurlにブックマーク | Yahoo!ブックマークに登録 |

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